神である主が義と賛美とを全ての国の前に芽生えさせる ー イザヤ61:11

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。 第三ヨハネ 二節

備えの神様

2013年06月16日 11:00

 

創世記22:10~14

10 アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。11 そのとき、の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「の山の上には備えがある」と言い伝えられている

 

1. 神の命令にすぐ従ったアブラハム

 神様はアブラハムに大きな試練を与えられました。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(創22:1)『ひとり子イサクをモリヤ山に連れて行き、全焼のいけにえとしてわたしにささげなさい』という神様の命令を受けたアブラハムですが、彼はためらわないで神の命令を受け取り、命令された翌日の朝早く起きて、命令を実行する準備に出かけました。翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。(22:2, 3)

  神様から認められ、主から更に祝福を受けようとするなら、神の命令にすぐに聞き従うことがその秘訣であります。マタイの福音書25章のタラントのたとえ話で、旅に出かける主人からタラントを受け取った良いしもべたちは皆、すぐに外へ出かけて商売をし、更に倍のタラントを儲けることができ、そして後に旅から帰って来た主人からほめられ、更に多くのことを任せられました。「天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。16 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。」(マタイ25:14~16 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』(マタイ25:21)

 イエスの弟子たちの召命の時の様子を見てみましょう。イエス様が宣教を開始し始めて、ガリラヤ湖のほとりへ行かれた時、イエス様は湖で漁をしている兄弟のシモン・ペテロとアンデレに出会いました。そしてイエス様が、シモン・ペテロとアンデレに「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう!」と言った時、二人は網を捨てて、すぐにイエス様に従っていったと聖書に記録されてあります。イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らはすぐに網を捨てて従った。(マタイ4:18~20また、イエス様は二人の弟子を得た後、別の兄弟であるゼベダイの子ヤコブとヨハネに出会いましたが、この二人もすぐに、漁の途中にもかかわらずイエス様に従ったのであります。そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。(マタイ4:21~22わたしたちは、神様にすぐに従うことが大変大切なのです。神様の時を見逃さないで、神様にすぐに従うことが神様から大きく用いられ、恵み豊かに祝福される秘訣であるのです。神様から命令を受けたり、召命を受けたなら、すぐに命令に従い、そしていつも御言葉に聞き従い実践し神様に栄光をお返しすることのできるみなさんでありますようにお願いします。

 

2. 信仰を持ち従順したアブラハム

イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」 アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。(創22:7~8イサクから、火とたきぎはここに準備されているのだけれども、全焼のためのいけにえの羊がどこにあるのかと、質問されたアブラハムは、「神御自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ」と、目に見えないことを信じて大きな信仰をもって神様に従ったのでした。またアブラハムの信仰は、イサクがたとえ死んだとしても、神様がイサクを生かしてくださるという絶対的に神様を信用する、神様への信頼感から来たものであるのです。このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」といわれていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。(ローマ4:17~18アブラハムは、多くの国民の父となる、という神様から受けた約束を信じていましたので、ひとり子イサクを全焼のいけにえとして捧げるという/絶対絶望的な状況の中でも、望みを抱いて、死人を生かす神を信じたのでした。 わたしたちは、死人を生かす神を絶対的に信じて、目に見えないことを信じなければなりません。目に見えないことを信じる人が、本当に信仰のある人なのです。聖書はこう言っています。信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1) わたしたちはクリスチャンの信仰を証しなければなりません。そのためには、わたしたちは神様の栄光を現す目に見えないビジョンを、信仰を通し見上げ、それを堅く信じなければいけません。

 クリスチャンの信仰は、奇跡を信じる信仰です!普通ではできないと思えることでも、できる!と信じて前進する信仰です!わたしは、わたしに力を与えてくださるイエス様によって、何でもできる!そのように信じて、大きな夢を抱いて、その夢に向かってひたすら進んで行く信仰です!大きな夢とビジョンを心の中に抱いて、信仰を持ってそのビジョンに向かって 毎日前進し、前進し、前進し、神様の栄光を現すことのできるみなさんでありますように、主の御名によって祝福します。

 信仰をもって神様に従順したアブラハムに、神様は全焼のいけにえとして、イサクの代りに、雄羊を用意してくださったのでした。アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。そのとき、の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「の山の上には備えがある」と言い伝えられている。(創22:10~14神様は、備えの神様であります。アドナイ・イルエ、ヤ―ウェ・イレ、備えられる神様でおられるのです。神様は、わたしたちに試練をお与えになりますが、必ず何かを備えてくださり、試練に打ち勝つように導いてくださるお方でおられます。1コリ10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。神様はアブラハムにイサクの代りの全焼のいけにえとして雄羊を備えてくださり、アブラハムの試練に勝利させてくださいました。わたしたちも、試練に会う時、必ず神様が何かを備えてくださり、その試練に勝利させてくださるように導かれるのであります!

  私は去年の宣教大会に出席する二三日前から胃の調子がよくありませんでした。胃の下の方が少し痛み、グルグルと音がして何かの異常を感じたのです。妻にもそのことを話しましたが、今回の宣教大会では、初めてすべての宣教師とその家族を対象とした健康診断を行う予定であったのです。それで、私はちょうど神様が私に健康診断を準備してくださったのだと感じました。そしてソウルに着いて、次の日健康診断を受けに指定された総合病院へ妻と共に行きました。私は体に麻酔をしないで直接する胃カメラが初めてで、本当はしたい気持ちは少なかったのですが、これは神の導きであると思いましたので受けてみました。始めて見ると、太いカメラの管をのどから入れられて本当に気持ち悪くなって、何度も吐き出しそうになりました。以前、韓国で受けた健康診断の時に麻酔がかかった状態で胃の検査を受けたことはありましたが、その時は何をされているのか全く分からず完全に眠ったままで検査してもらいましたので、夢うつつの間に終ってしまいましたが、今回は本当に苦しくて二度とこんな経験はしたくないと思いました。私は特別に緊張しすぎて、体に力が入りすぎて何度も吐き出しそうになったようでした。検査が終って、お医者さんから結果をすぐに、私の胃の写真を見せてもらいながら教えてもらいました。すると、胃に変な生き物が写っている写真を見せてくれました。私は自分の胃の中に変なものがいるのを見て驚きました。それはヘリコパクターという菌であると言われました。日本ではよくピロリ菌と言われているものでした。お医者さんの話では、この菌は胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因にもなり、ずーっと放っておくと慢性化してしまいひどくなる可能性があるのですが、手術をしなくても薬を飲んで治すことができると言われました。私は少し落ち着きました。それで、胃腸の薬を一ヶ月分とその後に飲む薬であるヘリコパクター・ピロリ菌を殺す物を一週間分もらいました。私は、これは神様が私にいつか証をさせるために、私をこのように導いておられるのだと信じて、祈りました。私はその日から薬を飲み続け、日本に帰ってからも飲み続けて、菌を殺す薬も飲みました。私はコーヒーは大好きでしたが、カフェインが多いので胃に良くないとお医者さんから忠告されましたので、毎日飲んでいたコーヒーを控えることにしました。たまには少しぐらいいいかなと思って、コーヒーを飲もうとすると、妻にばれてしまって取り上げられてしまうこともありました。時が経ち、とても痛くなったりすることはまったくありませんでしたが、おならが以前より出るような感じでした。約一年が過ぎて、胃の状態が元に戻っているのかもう一度検査をしなければならないのですが、検査の時の苦しさを思い出すと行く気にならなくて、そのまま時が過ぎ去りました。そして、今年の宣教大会に出席して、帰国した翌日、私は検査をしてから一年が経ったので検査をしに行くことを決心して、ピロリ菌に詳しいお医者さんのいる近くの病院へ行って胃の検査の予約をしました。お医者さんは、明日でもできますと言われましたので、私はすぐ翌日に検査を受けることに決めました。検査の日に私は韓国で麻酔を使わないで受けた時、とても苦しかったですので、麻酔をよくしてくださいと頼みましたら、お医者さんは了解してくださいました。それで、今回は麻酔を少し強めに手から打って始めてもらい、半分眠った感じの状態で胃カメラを入れてもらいました。それほど、苦しいことなく終えることができました。それで、麻酔がほとんど覚めてから、検査の結果をすぐに教えてもらいました。すると、胃には若干炎症もありますが、心配なくとてもきれいであって、ピロリ菌も完全にいなくなりましたと言われました。血液と検便の検査でも、ピロリ菌は存在しないことが確かめられました。ハレルヤ!私は、大変親切に検査をしてくださったお医者さんに感謝をし、素晴らしい神様に感謝をしました。神様は私の胃の異変を知っておられ、私に受けたくない検査を準備してくださり、後に証ができるように私を導いてくださったのです。神様は、私たちに試練を与えますが、必ず試練に勝利できる何かを準備なさり、神様の栄光をお現しになり、証しができるようにしてくださるのです!ハレルヤ!!

 

 3. 神を恐れ敬ったアブラハム

「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」(創22:12信仰の人アブラハムの特徴は、神様を恐れる人であったことです。彼は、神様の命令を守るため、自分のひとり子イサクを神様に捧げようとしたのでした。ここに、アブラハムの神様を恐れる信仰心がはっきりと表れています。神様を恐れたアブラハムは、神様の非常に難しい命令に聞き従い、その従順のゆえに、豊かに祝福されるようになったのです。それからの使いは、再び天からアブラハムを呼んで、仰せられた。「これはの御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」 (22:15~18)

 神様を恐れ、神様に絶対従順する人は、最後には神様から驚くべき祝福を頂くのです。

詩篇128:1~6

幸いなことよ。すべてを恐れ、主の道を歩む者は。
あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。
あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。
見よ。を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。
はシオンからあなたを祝福される。あなたは、いのちの日の限り、エルサレムの繁栄を見よ。
あなたの子らの子たちを見よ。イスラエルの上に平和があるように。

 22:23 を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべてのすえよ。主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。

  ヨセフが奴隷生活や監獄生活の末に、エジプトの国務総理となって、神様から豊かに祝福された理由は、いつも夢を抱いていたことでありますが、彼は、神様をいつも恐れる人でありました。ですから、ボティファルの妻から誘惑を受けた時、彼は神様を恐れた故に、その誘惑を頑として断ち切りました。結果的に、誤解を招いて牢獄生活を強いられるようになってしまいましたが、主を恐れていたヨセフは、神様から認められ、牢獄の中でも、看守の役割を任せられ、結局国王に認められて、エジプトの国務総理にまで至るように導かれたのでした。主を恐れることは、大きな祝福を受ける条件であります。いつも、主を恐れて、聖霊充満となり、御言葉に従順し、神様に栄光をお返しし、大きな祝福を受けられるみなさんでありますように主の御名で祝福します。

  ジョン・ニュートンと言うイギリス人は、アフリカの黒人たちを奴隷として、船で北アメリカまで運び、それらの黒人を売ってお金を儲けていました。彼は、いつものように黒人たちを奴隷船に乗せ、奴隷を売る地に向かって、航海を続けていましたが、ある日大変大きな嵐に出会いました。そして、船が暴風と荒波のために難破し沈没しそうになってしまいました。大変恐ろしい嵐に出会ってしまったのです。彼は、これではもう自分がひょっとしたら船が転覆して溺れ死んでしまうかもしれない、と感じました。「神様!わたしを助けてください!悪いことをしてお金儲けしていたことを心から悔い改めます。神様が、もしわたしをこの荒波と暴風雨から救い出してくださったのならば、わたしは、もうこの悪い仕事から足を洗い、ただ神様のために生きて行きます。どうか、わたしを赦して救ってください。」ジョン・ニュートンは神様を恐れ、神様の前に悔い改めたのです。そして、暴風雨と荒波が治まり、この船は難破せずに無事に航海を終えることができました。この事件をきっかけに、ジョン・ニュートンは、この奴隷を売る仕事をきっぱりと辞めました。そして彼は、心から悔い改めて、神学の勉強を始めて、ついにイギリスで牧師になったのです。そして、あの荒波の中から神様によって救い出された事件の自分の思いを詩としてまとめました。そしてその詩に曲が付けられるようになって、とても有名なアメージング・グレイスができたのです。神様を恐れ、神様に従順することを約束し、それを実行した彼は、牧師となって、すばらしい名曲がこの世に残ることになり、イギリスの人々へ神様の御言葉を宣べ伝える伝道者になったのでした。神様は、神様を恐れる人を、愛してくださり、神様を恐れ、神様に従順する人を豊かに祝福してくださいます。いつも、主を恐れ、主に従順し、御言葉に従順し、神様から豊かに祝福されるみなさんでありますように、主の御名によって祝福します。

  以上のように、今日わたしたちはアブラハムが神様から試練を受けた時、①神様に命令にすぐに、聞き従いました。②信仰を持って目に見えないことを信じ神に従順しました。③神様を恐れ敬い、神に聞き従いました。ですからアブラハムはこれらのことを実行して必要な者が備えられ、また神様から溢れるほど豊かに祝福されるようになったことを学びました。愛する聖徒のみなさん!わたしたちも、このようなアブラハムの信仰を持って、毎日信仰生活を前進し、すべて必要な者が備えられ、すべての試練に勝利し、たましいが恵まれ、すべてが恵まれ、健康である恵み豊かな祝福を頂き、神様の栄光を大きく現しになられますように、主・イエス・キリストの御名によって、切にお祈りいたします。アーメン!