ヨハネ10:10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
イエス様は、今日の本文でまず、『盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。』とおっしゃいました。盗人や強盗たちがやって来るのは、物を奪い取るためにやって来ます。そして、時には侵入した家や店などにいる人たちを脅したり、また殺してしまったりもします。盗人や強盗たちは、物を奪い取ったり、人のいのちも奪い取ったりするためにやって来るのです。ただ人々を滅ぼすためにやって来るのです。しかし、イエス様がやって来られたのは、盗人や強盗たちの目的とは全く正反対の理由なんです。イエス様はまず、『わたしが来たのは、羊がいのちを得るため』にやって来られたとおっしゃいました。イエス様はご自分を信じるすべての信者たちが、いのちを得るためにこの世に来られたと証されました。そのいのちとは、この世の生命だけではなく、永遠のいのちであるのです。この「いのち」という言葉はギリシャ語では、「プシュケー」(ψυχή)という言葉と、「ゾエー」(ζωὴ)という二つの「いのち」を表す言葉があるのですが、「プシュケー」とは、この世限りの「いのち」であります。肉が滅びたら死んで無くなってしまう一度限りの「いのち」であります。また、「ゾエー」という言葉は、決して滅びることのない、永遠に続く「永遠のいのち」(eternal life)を意味しています。そして本文では「ゾエー」という言葉が使われておりますので、イエス様は御自分を信じる人々へ「永遠のいのち」をお与えになるために、この世に遣われたのであります。イエス様は聖霊様を通してマリアの胎から生まれました。イエス様は罪のない神の子供であります。そんなイエス様は、罪がひとつもないにもかかわらず、アダムとエバを通して罪の血統を持つようになり地獄へ行くしかない運命をもったわたしたちすべての人類を救うために、十字架にかかり罪のない尊い血を流して下さり、わたしたちの全ての罪を贖ってくださったのです。悔い改めてイエス様を信じる全ての人は、罪が全て赦されて永遠のいのちを得るのです。イエス様は、信じる人々に「永遠のいのち」をお与えになるためにこの世に遣わされたのです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネ10:11) イエス様は良い羊飼いです。良い羊飼いは自分の羊たちを守るために自分の命を懸けるのです。ですから良い牧者であられるイエス様は、罪人であるわたしたちを救い永遠のいのちを与えるために、十字架にかかって命を捨てて下さったのです。
しかし、羊の所有者でない人は、羊の敵がやって来たり、羊が危ない状態にさらされたりすると、羊を置き去りにして逃げて行ってしまうのです。 牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで狼は羊を奪い、また散らすのです。(ヨハネ10:12) 狼が来るのを見たりすると、羊たちを置いて自分ひとりで逃げていってしまう理由は、その人は羊を管理するように雇われていますが、羊のことを心にかけていないからです。 それは、彼が雇い人であっても、羊のことを心にかけていないからです。(ヨハネ10:13) 雇い人は、ただ自分が仕事の報酬をもらえればそれでいいと思っていますので、羊は彼にとっては所有物ではないため、実際はどうなっても関係がないのです。ですから、何かの危険がやって来たら羊のことは放ったらかしにして、一目散に自分ひとりで逃げて行ってしまうのです。最近韓国の海域で起きました旅客船の沈没事故では、本当にたくさんの若い高校生たちを始め、多くの人たちが事故の犠牲になってしまい、世界中の人々が大変ショックを受けています。事故が起きて約十日ほど経ちましたが、まだ船内の内部の奥まで入って行く通路が大変重い、大きな障害物などで閉ざされており、作業が難攻しているようです。いち早く船内すべてを見回れるようになり、本当に奇跡が起きるように祈っていきたいと思っています。また、犠牲となった方々の家族、親戚、友人たち、また悲しんでおられる韓国の人たちを主が慰めて下さり、哀れんでくださいますようにお祈りします。このセウォル号が傾いて沈んでしまった原因には多くのことが重なってしまったからであるようです。まず、積荷の積載量が許可されている量より遥かに多く積まれてオーバーしていたことです。ですから船が旋回する時に、積んであったコンテナや自動車など重量のあるものが元の位置からずれてしまった時、重心がずれて大きく傾き始めてしまった可能性があるのです。また、初めに造られた船体の上部の客室を改造して更に100名ほど多くの客を収容するようにしたことです。この船は元は日本の船で、十数年前に韓国が買い取ったそうですが、買い取ってから一番上部の方の客室を増設したために船の重心が最初の造られた時よりも高くなっていたのです。ですからバランスが崩れると元の状態に戻るのが難しくなっていたのです。そして、そんな状況の中で、船の操作を誤って急旋回の始動をさせてしまったために、積荷が大きく動いて重心がずれて傾き始め、重心が高すぎるために、元に戻る復元力を失い、甲板に水が入ってからはひっくり返り、沈没に至ってしまったと考えられます。そして驚くことに船長は、船が傾き始めて沈没しかかった時に、船員たちに脱出命令を出しただけで、お客さんたちをほったらかしにして、一目散に救助にやって来た船に船客の振りをして飛び乗り助けられたのです。そして、陸に揚げられてから、その船長は水に濡れてしまった一万ウォンの紙幣を大事そうにライターの火で乾かしていたそうです。実は船長の使命も羊飼いと同じ使命を持っています。羊が危ない場面に差し掛かると、いのちを捨てて自分の羊たちを守る羊飼いと同じ様に、船に乗っておられるお客さんたちが最後まで安全に航海ができるように注意を払い航海を行い、万一船が沈没しそうになったなら、まず第一にお客さんたちのいのちを守るために、最善の努力をして船長は一番最後に脱出をすることが決められているのです。ところがこの事件の場合、船長はお客さんたちのことが心の中に全くなく、船長としての使命を少しでも守ろうという気もなく、自分のいのちが一番大切ですので船員たちに脱出の命令を出したら我が先にと、駆けつけてくれた救助艇に飛び乗ったのです。結局、船長としての義務を全く果たさなかったこの人は同じ行動をとってしまった他の操縦士や船員たちとともに逮捕されてしまったのでした。船が急旋回してバランスを崩し、傾き始めた時に、慌てて操縦を放ったらかしにしないで、冷静に判断して碇を下ろしていたならば、船の重心が下がり、バランスを回復して元通りになっていたであろうという見解が日本の専門家たちから出ています。もっと船長としての使命を強く認識して対処していたならば、この惨事は免れた可能性があったのです。
しかし、この船長の行動とは反対に、本来の船長と同様に船員としての使命を最後まで果たした若い女性のパクジヨンさんという方には本当に心が打たれました。彼女は、船が傾いて沈没しかかった時に、高校生たちにライフジャケットを着けさせながら、一人でも多くの人たちを助けようとしていました。船が傾きまた、どんどん水が深くなってくるので、ある高校生がパクさんに尋ねました。『お姉さんは、いつライフジャケットをつけるのですか?』するとパクさんは、『みなさんが、みんなライフジャケットを着けてから。わたしは後で行くからね。』と言いながら、高校生たちを必死に助けていました。しかし、水かさがどんどん増していって、パクさんは最後まで高校生を助けるのに命を懸けて全力を尽くしましたが、船とともに海の中へ沈んでいってしまいました。このようにパクさんのような乗組員の他にも、他の高校生たちの救助を優先させて自分のいのちを落としてしまった、心優しい高校生や尊い先生たちがおられました。これらの人たちの行為は、まさに船長の使命を全うした行為でありました。十字架にかかって私たちの罪を赦し、永遠のいのちをあたえるために私たちのために死んでくださったイエス様の生き方を模倣する人生を遂げられたのでした。私たちはこのような差し迫った環境に置かれるとこの船長のように逃げ出してしまいたい気持ちになると思います。しかし、私たちは万民を愛してくださり、私たちのために命を捨ててくださったイエス様のアガペーの愛を思い出さなければいけません。そして今回の事故で、御自分の大切ないのちを捨ててでも、隣人のいのちを救ってあげることのできたこれらの愛と勇気に満ちあふれた方々を見習って、私たちも最後まで隣人にイエス様のアガペーの愛を与え続けることのできる私たちでありますように、主の御名でお祈りします。