神である主が義と賛美とを全ての国の前に芽生えさせる ー イザヤ61:11

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。 第三ヨハネ 二節

感謝の賛歌

2013年11月24日 11:00

詩篇100篇 感謝の賛歌
1 全地よ。に向かって喜びの声をあげよ。
2 喜びをもってに仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
3 知れ。こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
4 感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。
5 はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。

 

①主に喜び仕えよ。主が私たちを造られた。

1全地よ。に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもってに仕えよ。2喜び歌いつつ御前に来たれ。3知れ。こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。(100:1~3) 
私たちは主による被造物であることを悟らなければなりません。この世の科学においては、創造論を否定して、進化論を説いています。生き物は微生物からだんだんと進化していって、猿のような高等な動物が誕生し、さらにそれが進化して人が誕生したと説明しています。しかしキリスト教では、人や動物や植物や天体などすべてのものは神様の創造から生まれた創造論の立場をとっています。人は動物の進化を経て生まれたのではなく、神様の創造により誕生したのです。動物も同じ神様の創造の作品です。詩篇100:3にありますように、私たちの主人は神様であり、主なる神様が私たちを造られたこと、私たちは主のもの、また主の民であり、主の牧場の羊であることを悟らなければならないのです。ですから、私たちは主に向って喜びの声をあげなければいけません。また、喜びをもって、主に仕えなければいけません。喜び歌いながら主の御前に出て行かなければならないのであります。私たちは主によって形作られた被造物であります。わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ43:7イザヤ書には人間が神様の栄光を現すために造られたことを、ヘブライ語で「造る」ことを表現する三つの異なる動詞を使って記録されています。人は神様によって①無から創造され、②神様の形状通りに形造られ、③命の息を吹きかけられて完成された、のであります。人間の創造は進化によって偶然にできたものではなく、神様の図り知れない奥深い計画の中で神様の大いなる愛を通して創造されたのであります。ですから、人間は神様から見て本当に尊く貴重な愛されるべき存在なのであります。“わたしの目には、あなたは高価で尊い! わたしはあなたを愛している。" (イザヤ43:4)  

 ダビデは絶えず主を賛美しほめたたえていました。ですから、大きな罪を犯してしまってから、涙を流し切に悔い改めて、いつも神様の霊、聖霊に満たされることを願い、主にいつも仕え、賛美することを誓い、伝道することも誓い、主を証することを誓いました。

御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。
10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
12 あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。
13 私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。
14 神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。
15 主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。(
詩篇51:9~15)

ダビデは主を賛美し続け、詩編の多くの歌がダビデの作品となりました。私たちは、ダビデのように絶えず聖霊充満となり、主を絶えず賛美して、主を喜び、主に仕えて、すべての苦難や試練にも主にあって勝利しながら、神様の栄光を現す信仰生活を送らなければなりません。すべてのものは主が造られたのです。私たちは今、人として生きていること自体、創造主でおられる主に感謝し、主を喜ばなければならないのです。

 

 

②感謝と賛美で主に近づきなさい

 詩篇100:4 感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。感謝を通して私たちは、私たちの主でおられる神様に近づくことができます。

 ピリピ4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。感謝をもってささげる祈りと願いは、神様が聞いてくださるのです。何も思い煩わないで、どんな時でも、創造主でおられ全知全能なる神様にただ感謝をささげて祈るならば、神様は私たちに近づいて来て下さり、私たちの願いと祈りを聞いて下さります。感謝は神様に近づく方法です。また、感謝の祈りによって神様は私たちの願いも聞いてくださるのです。今、どんなに苦しく辛い環境に置かれていたとしても、否定的な考えをしないで、すべてを主にゆだねて感謝し主を褒め称え賛美することにより、主に親しく交わることができるようになるのです。

 弟のラザロが死んで四日経った時にイエス・キリストがやって来ました。姉のマリヤやマルタは非常に嘆き悲しんでいました。もっと早く、イエス・キリストに来てもらって祈って欲しかったのですが、もう死んで何日か過ぎてしまって、絶望していました。しかし、イエス・キリストは言いました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11:25そして、イエスはラザロの墓の所に行って、マルタに石を取りのける様に言いました。マルタは弟のラザロがもう死んで四日もたってしまったので、臭くなっておりますと絶望の様子のままで石を取りのけました。イエスはこう祈りました。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」(ヨハネ11:42 イエスはラザロが死んでしまったのに、神様に向って、御自分の願いを聞いてくださったことを感謝しますとまず感謝の祈りを捧げました。それは、神様がいつも御自分の願いを聞いて下さることを知っておられ、また周りの群集たちもラザロが蘇ることによって主が御自分をお遣わしになられたことを信じるようになるためだと言われたのです。そして、大声で「ラザロよ。出てきなさい!」と命令すると、墓の中からラザロは蘇って白い包帯を体に巻かれたまま起き上がって外に出てきたのでした。死んだラザロが蘇る前に、イエスは神様に対して捧げた祈りは、感謝の祈りでした。全知全能なるお方が神様の栄光を現すどんな願いごとも叶えてくださることを確信して、死からラザロが蘇るという普通では絶対に不可能に思える願い事が、イエスはそんな願いを神様が聞いてくださり感謝しますと、まず感謝の祈りを捧げて願いの成就を宣言されたのです。どんな環境の中にあっても、まず感謝していくことが問題の解決の始まりとなり、幸せな人生の始まりとなります。

 

③主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで。

はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。(100:5主の愛はとても深く、その恵みは永遠に続きます。神様は永遠なるお方でありますので、それらの真実は代々代々に至るのです。

1 に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
2 神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
3 主の主であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
4 ただひとり、大いなる不思議を行われる方に。その恵みはとこしえまで。
5 英知をもって天を造られた方に。その恵みはとこしえまで。(
136:1~5)
詩篇136編は、とこしえに恵みを与えて下さる神様に対する感謝の詩が二十六節も表現されています。まことに慈しみ深い神様。大いなる不思議を行われる神様。天地万物を創造なされた神様。紅海を真っ二つに分けて、イスラエルの民をエジプトから救われた神様。荒野でイスラエルの民を導かれた神様。すべての敵から救い出してくださった神様。絶えず食料を与えて下さり、飢えさせたりなさらない神様。このように神様は私たちを敵より守り、永遠に愛して下さるのです。天国に行く時まで、奇跡を見せて下さり、恵み豊かに祝福して下さるのです。

 神様のひとり子イエス様がこの世に送られ、愛する御子を十字架に架けてその流された血潮によって、私たちの全ての罪が清く洗い流されました。イエス様の十字架の贖いを通して私たちの過去が精算されて、新しい人へと変ったのです。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリ5:17  自分中心に生きてきた私たちを新しく生まれ変らせてくださり、神様の栄光のために生きるように導いてくださる神様に私たちは心より感謝を捧げなければなりません。

 死から三日目によみがえり、天国にイエス様は昇天なさり、今私たちは天から神様の霊、聖霊を受けて真実なる人生を歩むようになりました。聖霊を受ける時、私たちは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラ5:22,23)ーの九つの聖霊の実を結んでイエス様の品性を現して、この世に神様の国を実現する人となるのです。そして、聖霊の力と賜物を受けて、更に神様の国を大きく拡張していくことができるのです。聖霊を与えて、満たして下さり、この世でも真実に幸せな人生を歩ませてくださる神様に心より感謝を捧げなければなりません。

 イエス様の流された十字架の血潮は、私たちのすべての病をも癒す働きをします。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(1ペテロ2:24イエス様が私たちの病を十字架上で背負って下さり、私たちの病をも癒してくださったのです。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ53:5すべての病を十字架の上で担って下さり、私たちを癒してくださったイエス様に私たちはいつも感謝を捧げなければなりません。

 アダムとエバの罪により、環境の呪いを受けてしまった私たちのために、イエス様が十字架で私たちの呪いを担ってくださり、私たちは豊かに祝福を受けるものと変りました。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、 あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(2コリ8:9イエス様を信じる私たちは、天国へ行く時まで恵み豊かに祝福されて、幸せな人生を歩むことができるのです。この世でも飢えることなく、豊かな祝福で満たしてくださるイエス様に絶えず感謝を捧げなければなりません。

 私たちは罪を告白し、私たちの為に十字架に架かって三日目に死よりよみがえり天へ挙げられたイエス様を信じるなら、私たちは永遠の天国で幸せにイエス様と共に暮らせるのです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。(ヨハネ6:40この世で人生は終るのではありません。私たちはイエス様を信じることによって永遠に天国で喜びと平安に包まれて幸せに生きることができるのです。永遠のいのちを与えてくださったイエス様に私たちは感謝せずにおられるでしょうか?決して死んで滅びることなく、永遠に生きる道を与えてくださった神様に真心から感謝いたしましょう。

 たましいが恵まれているように、すべてが恵まれ健康である三拍子の祝福と、五重の福音を与えて下さる神様、イエス様に私たちはいつも心から感謝を捧げなければなりません。神様の深い慈しみと愛の恵みは永遠に私たちに注がれ続けるからであります。ハレルヤ!

 全地よ。に向かって喜びの声をあげよ。
 喜びをもってに仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
 知れ。こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その
牧場の羊である。

 感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。
 はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。(詩篇100篇 感謝の賛歌)

私たちは私たちを創造してくださった私たちの主人でおられる神様をいつも感謝し、主に喜び仕え、感謝と賛美で主に近づいて、絶えず主と共に歩み、慈しみ深く、永遠の恵みで私たちを満たし、たましいが恵まれているように,全てに恵まれ健康である豊かな祝福を与えて下さる神様、イエス様にいつも心から感謝して、更に感謝により、豊かな祝福をもっと受けて、天国へ行く時まで神様に大きく栄光をお返しし、神様を証ししながら生きていかれるみなさんとなられますように主の御名によって切にお祈りいたします。アーメン!