ルカ8:22~25 22 そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。23 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。24 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。25 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
1. イエスを見失った弟子たち
私たちの歩む人生の道のナビゲイターは、主イエス・キリストであります。私たちは唯一まことの神様に出会う前までは、人生の主管者は自分自身であり、自分で自分の道を決めて、全てのことを自分の判断で善悪を定め、自分の良心を基準として、人生を歩んできました。しかし、人間に完全な人は一人もおりません。なぜなら、人間は全知全能でおられる神様の創造物であるのですが、私たちの祖先のアダムとエバが初めに罪を犯してしまいました。そのために私たち子孫は罪の血統を受け継ぐようになってしまったからです。ですから人間は、神様の栄誉を受けることができなくなってしまったのです。
ローマ3:23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
私たちは自分の人生を自分で選択して、自分の力に頼って生きようとします。しかし、どんなに力のある人でも、どんなに自分の才能を自負している人でも、必ず人生の途中で壁にぶち当たって挫折してしまい途方にくれてしまったり、絶望してしまったりしてしまう時があります。そして、その挫折感や絶望感が大きければ大きいほど、時として人はそれを乗り越えることができずに、鬱状態に陥ってしまったり、堕落して悪い道に向かって行ってしまったり、最悪の場合には自ら自分の命を絶ってしまうこともあります。自分自身を信頼して、すべて自分だけに頼って生きてきた人たちにとって、人生の大きな障害にぶち当たった時、どれほどつらい経験をすることでありましょう。それを乗り越えられたとしても、人生の道は更に大きな壁が立ちはだかることが多くあるのです。
今日の本文に登場しているイエスの弟子たちも、主人であるイエスと共に湖の向こう岸へ渡るために舟に乗り出したのですが、弟子たちは舟を操ることに夢中になって、イエス様が頭の中から離れていました。またイエス様も舟の中でぐっすりと眠ってしまいました。その時、突然強い風が湖に吹き下ろして来たために、舟に水がかかり、弟子たちは水をかぶって危険な状態になってしまったのです。 弟子たちは突然やってきた災難に頭の中が空っぽになってしまいました。それで、溺れるかもしれないととても恐れて恐怖心でいっぱいになりました。
ルカ8:22~23 そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。
私たちは心の中に神様がいないと、心の中に主であるイエス・キリストがいないと、何かの試練に出遭った時、焦り、驚き、どう対処したらよいかわからずに、慌てふためいて、ただ嘆き悲しんだり、環境や人の所為にして、環境や人を呪ったりしてしまう傾向があります。この場面のイエスの弟子たちも、舟を先導するのに夢中になり、舟の中でイエス様が眠られてしまったので、頭の中からイエス様を見失っていました。そんな時に、突風を受けて舟が大きく揺れて、海の水が舟の中に入って来たために、とってもびっくりして、慌てふためいてしまいました。『うわぁ~!舟が沈んでしまうかもしれない!! どうしよう~!』 心の中に主人のイエス様を見失っていた弟子たちは、動揺で溢れ、混乱状態に陥ってしまいました。
ルカ8:24 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。
それで弟子たちは、自分の力ではこの大風と荒波から自分たちを助け出すことができないことを悟り、イエス様の方に近寄って行って、眠っておられたイエス様に、「先生!先生!私たちは溺れて死にそうです!」とイエス様を揺り起こしました。すると、イエス様は風と荒波をしかりつけられて、大風と波が収まって、なぎに変わったのでした。
2. わたしを離れては、あなたがたは何もすることができません
そして、イエス様は弟子たちに言いました。
ルカ8:25 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われた。 イエス様は弟子たちに、「あなたがたの信仰はどこにあるのか?」と尋ねました。弟子たちは、舟に乗っている時に突然襲ってきた突風と荒波に愕然として、全知全能なる神様への信仰を見失いました。ただ、自分の力ではどうしようもなくなったので、驚き慌てふためいてしまったのです。それで、イエス様が風と荒波をしかりつけられて、なぎに変えられ、「あなたがたの信仰はどこにあるのか?」と言われて、弟子たちは驚き恐れて互いに、「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」(ルカ8:25) とイエス様の偉大さに驚いたのでした。
私たちはイエス様を離れては、何もすることができないのです。逆に言えば、私たちはイエス様と共にいれば、どんなこともできるということであります。
ヨハネ15:5わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
私たちは、イエス様を離れては何もすることができません。私たちはイエス様に留まり、イエス様と共に歩む時、御言葉に留まり、神様と共に歩む時、多くの実を結び、神様の栄光を現し、神様に栄光をお返しすることができるのです。
私たちは、イエス様と共に歩む時、聖霊様と共に歩む時に、どんなこともできるのです。
ピリピ4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。ですから私たちはイエス様と共に進んで行かなければ、何もすることができないことを悟り、イエス様と共に進んで行く時に、多くの実を結び、どんなことも成し遂げることができることを悟らなければいけません。
韓国のチャムジョン・コスメティックという化粧品会社の会長でおられるキム・グァンソク会長は、まだイエス様を信じていなかった若い時、薬局を経営して大きな利益を上げ、豊かな生活を営んでいました。しかし、彼の調剤した薬剤が無許可の薬剤であったことが判明されて、保健衛生法違反の犯罪者となってしまいました。彼は、全国各地をさまよいながら逃亡生活を続けるという哀れな人生を送ることになってしまったのでした。ある時、彼はある山小屋に潜んで、自分の記事の載っている新聞記事を見つけて、今までの悔しさが湧きあがって来て大声を出してむせび泣きました。一晩中泣き明かした彼は、自分も知らないうちに「神様!」と叫んでいたのでした。その瞬間に彼の心には、今自分の中で生きておられる神様の存在感に満たされたのでした。そして彼は山小屋を飛び出し、町まで走って行き、ついに警察に自ら出頭して自主をしました。その後、深いキリスト教信仰のある先輩に導かれて、毎週聖書勉強会に参加して、聖書の御言葉を分かち合いながら、ついに救いの確信を得るようになったのでした。逃亡生活から脱出し、刑の執行も完全に終えた彼は、神様に祈り始めて、新しい事業を起こす勇気を得たのです。そして、チャムソン・コスメティック化粧品会社を設立したのでした。
彼は、この新しい事業を始める時、以前とは違う確信を心の中に持つようになりました。事業というものも、自分の力や努力だけで動いていくものでなく、神様の御助けによるものであるということを信じたのです。そして、彼はマラキ書3:10の御言葉を読んで、神様こそチャムソン・コスメティックの真のCEOであり、自分はその管理人に過ぎないのだと告白しました。
マラキ3:10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―万軍の主は仰せられる―わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
彼は自分を救ってくださった神様の富の法則に従おうと決心しました。そして、十分の一献金を捧げ、早天祈祷も続けたのです。「チャムジョン」という名は、「チャムチョウン」という言葉から来ていて、その意味は韓国語で「まことに良い」という意味です。その名の通りに真に良い神様を経験することができるモデル会社、また良心的な値段で最高の質を提供する素晴らしい会社として名声を博するようになったのでした。
チャムジョン・コスメティックのキム・グァンソク会長のように、私たちは主なるイエス様を離れては何もできることがないのです。そして、私たちは私たちを強くしてくださる聖霊様、イエス様を通して、どんなことでもできるようになるのです!ハレルヤ!イエス様と共に歩み続けるならば、人生の途中にどんなに険しい困難や試練が押し寄せて来たとしても、私たちは主に頼り、主に委ねて進み続けるならば、最後には必ず勝利ができるのであります。ハレルヤ!どんなにつらい時でも、主なるイエス様から離れないで、イエス様にすべてを委ね、信頼して、イエス様と共に歩んで、人生に勝利なさる皆さんとなられますように主の御名によって祝福します。
3. 信仰の創始者であり、完成者でおられるイエスから目を離さないでいなさい
ですから私たちは、信仰の創始者であり、完成者でおられるイエス様から絶えず目を離さないで、イエス様と共に人生の道を歩んで行くことが一番大切であることがわかります。
ヘブル12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
イエス様は信仰の創始者であり、完成者です。私たちは十字架に架かって私たちのために死んでくださり、三日目によみがえられ天国へ挙げられたイエス様を信じ、罪を告白して悔い改め、すべての罪がイエス様の尊い血潮によって洗い清められて、新しい人に生まれ変わったのです。また、聖霊に満たされる祈りを通し、聖霊充満となって、イエス様の品性と賜物を得て、神様の国を拡張していくことができるようになりました。また、癒しを体験し健康に生きるようになりました。豊かな祝福を受けて神様に栄光を大きくお返しできるようになりました。天国の切符を手にして、永遠にイエス様と共に生きることができるようになったのです。たましいが恵まれているように、すべてに恵まれ健康である祝福を受けて、天国で永遠に生きれるようになったのであります!ハレルヤ!
私たちはいつも心の目を開けて、信仰の創始者であり、完成者でおられるイエス様から目を離さないで、絶えず聖霊充満、御言葉充満となって、イエス様と共に歩んで行きましょう!イエス様から目を離さないで、神の国と義を求めながら、すべてのことに前進して行きましょう!私たちはイエス様を離れては何にもできません。しかし、逆にイエス様と共に歩んで行くならば、多くの実を結び、どんな逆境の中でも勝利して、神様に大きく栄光をお返しすることができるのです!どんな、苦難や試練が訪れたとしても、慌てふためいたり、失望したりしないで、ヨブのようにすべてを神様に委ね、神様を信頼し、十字架の苦難に耐え忍び勝利なさったイエス様といつも共に歩んで、多くの実を結び神様に大きく栄光をお返しになる皆さんとなられますように主の御名によって祝福してお祈りいたします。アーメン!