ヨナ4:9~11
9 すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」10 主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」
1. 主の命令に逆らったヨナ
イスラエルが南北に分裂し、北イスラエルの王ヤロブアム二世が国を治めていた頃、預言者アミタイの子で、預言者及び政治家であったヨナに対して神様が命令しました。「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」(ヨナ1:2)ニネベはアッシリヤ帝国の首都である当時の大都市でありました。ヘブル人のヨナにとっては、異国であり、異教の民たちの住んでいるニネべに行って宣教するのには、大きな抵抗があったと思われます。当時イスラエルと敵対関係にあったアッシリヤのニネべまで大きな苦労をして行き、異邦人たちを宣教することは、神からの命令でありましたが彼にとっては大きな苦痛であったに違いありません。それで彼は、神様の命令に背き、ニネべとは全く正反対の方角にある現在のリベリア半島南西部にあるタルシシュという町まで船に乗って逃げて行こうとし、ヨッパという港町まで下って行ったのでした。そして、彼はタルシシュまで船旅をして逃げようとしたのでした。しかし、神様は御自分の命令に背いたヨナに試練を与えることにしました。それで海に激しい暴風を引き起こさせて、彼らの乗っている船は難破しそうになり、大変なことになってしまいました。船に乗っていた人たちは、船の重さを軽くしようとして、積荷を海に投げ捨てていましたがヨナは船底に降りて行って横になってぐっすりと寝込んでいました。そこへ船長がヨナを見つけて、「いったいどうしたことか。寝込んだりして。起きて、あなたの神にお願いしなさい。あるいは、神が私たちに心を留めてくださって、私たちは滅びないですむかもしれない。」(ヨナ1:6)とヨナに忠告しました。そして、船員たちは誰のせいでこのような激しい暴風の災いが自分たちに降りかかったのかを知るために、当時によく用いられていて信じられていた-くじ-を引くことにしました。するとそのくじはヨナに当たり、ヨナは船員たちから誰のせいで、この災いが降りかかってしまったのか?仕事は何なのか?など、色々と質問されました。そして、ヨナは自分がヘブル人であり、海と陸を造られた天の神である主を恐れていることを告白したのです。また、主の命令に背いて-主の御顔を避けて逃れようとしていることをすでに彼らに打ち明けていました。そして更に荒波が激しく船を揺り動かし始めましたので、船員たちはヨナに海が静まるためには、自分たちは彼に対して何をすればいいのか尋ねました。すると、ヨナはこの荒波の原因は自分にあるのだから、荒波をしずめるために自分を捕らえて海に投げ込むようにと命令したのでした。
ヨナのように、私たちも神様の命令や御心に逆らって、神様に背く時、私たちは神様から試練を受けるようになります。神様は公義の神でありますから、普段神様の御言葉に従い、神様の御心通りに信仰生活を送っていた人でも、ある時、神様の御心に背く時、神様はその人に何かの試練をもたらして、悔い改めに導き、その人を訓練させるのです。ダビデは主を絶えず賛美して、主の道に誠実に歩んでいましたが、ある日姦淫の罪を犯し、またその女性を自分の妻にするために、その人の夫を殺害する計画を立てて実行し、神様の前に大きな罪を犯してしまいました。ですからダビデは神様から審判されて、その女性から生まれてくる子がすぐに病で死に、自分自身も他の女性から生まれた子供から剣を持って命を狙われ逃げ続けなければならない試練を受け負わざるをえなくなってしまったのです。また、もうひとりの子で王の後を継いだソロモンの建てる神殿が完成するのも見ることができずに世を去りました。彼は長寿を全うしましたが、神様の前に大きな罪を犯してから、とても辛い試練を受け苦労しなければならない運命になってしまったのです。ですから、私たちも神様から辛くて苦しい試練を受けなくてもよいように、絶えずイエス様に頼り、イエス様を愛し、御言葉を守り、神様の御心のままに生きて神様に栄光を返していかなければならないのです。
2. 悔い改めたヨナ
荒波を静めるために、海に投げ込まれたヨナは、主の用意された大きな魚に飲み込まれて三日三晩、その大きな魚の腹の中に入れられました。海に投げ出されましたが命を失うのを取り止められた彼は、自分が神様に背いてしまったことを切に悔い改める祈りを始めたのです。
「私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。あなたは私を海の真ん中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました。私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです』と。水は、私ののどを絞めつけ、深淵は私を取り囲み、海草は私の頭にからみつきました。私は山々の根元にまで下り、地のかんぬきが、いつまでも私の上にありました。しかし、私の神、主よ。あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました。私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。(ヨナ2:2~7)
更に祈ります。
むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。(ヨナ2:8~9)
ヨナは、神様に従わないで命令に背き、自分の思い通りに生きたことを反省し悔い改めました。再び聖なる宮を仰ぎ見たいと告白し、偶像を捨て去り、感謝の声をあげて、神様に生けにえを捧げ、神様に対する自分の誓いを果たすことを決心して主に告白しました。そして救いは主にあることを宣言したのでした。すると主は、魚に命じてヨナを陸地に吐き出させたのでした。そして、大きな魚の中から三日目に陸地に戻り、救われたヨナにもう一度主の言葉が臨みました。「立って、あの大きなニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」(ヨナ3:2)再びニネベに行って主の言葉を伝える命令を受けたヨナは、今度は主に100%従順して、ニネベに向かって行ったのでした。その町は行き巡るのに三日かかるほどの大変大きな町でありました。ヨナは「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」と言いながら、町を歩き回りました。するとニネベの人々は神様を信じて、断食を呼びかけるようになり、身分の差に関係なく人々は荒布を着るようになりました。そして、このことがニネベの王の耳に入って、王は王座から立ち上がって王服を脱ぎ、荒布をまとって、灰の中に座るようになりました。そして、王と大臣の命令によって、布告がなされました。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないで済むかもしれない。」(ヨナ3:7~9)このように、ニネベの人たちは今まで罪の道を歩み、暴虐的に生きて来たことを悔い改めはじめました。そして主に立ち返ることを彼らが努力していることを神様がご覧になられて、神はニネべの人々に災いを下すことを思い直され、ニネベの町を滅ぼすことから手を引かれたのでした。
ヨナが三日三晩大きな魚の腹の中の暗闇に居て吐き出され新しく生まれ変わったことは、イエス・キリストが十字架に架かり亡くなり三日目に死からよみがえったことを象徴しています。イエス・キリストを信じるすべての人は、その流された尊い血潮によって過去のすべての罪が洗い清められ、新しい人となって、聖霊充満を受けて真実な幸福な人生を歩み、病も癒され、豊かな祝福を受け、最後には永遠に神様の栄光で光り輝く天国で永遠に住むことができるのです。この世では、たましいが恵まれ、すべてに恵まれ健康である祝福が満ち溢れるのであります。私たちはこのイエス・キリストの福音を、イエス様の知らないすべての人々に伝える使命を抱いて出て行かなければならないのです。ヨナは初め、異国の異教徒たちへ神の言葉を伝えることから神の御顔を避けて逃げようとしましたが、悔い改めて、再び神様に立ち返って、神の言葉を伝えにニネべに向かって行き、その地の人々を悔い改めに導きました。神様は悔い改める人を用いてくださいます。イエス様の前に罪を告白し、悔い改める人は、過去の罪がイエス様の十字架の血潮で洗い清められ神様の御前に立つことができるようになるのです。ですから、いつも悔い改めて、聖霊充満となって、心を清く保っていなければいけません。自分の罪に気づいたなら神様から大きな試練を与えられないようにすぐに悔い改めて、絶えず聖霊充満となって隣人を愛し、神様の国と義とをまず第一に求め、神様に栄光をお返しする人生を送られるみなさんとなりますように主の御名によって祝福します。
3. 神様の一大関心事
悔い改めて、神様に立ち返り、ニネベに出て行って神様の言葉を伝えて、ニネベの人々を悔い改めに導くことに成功したヨナでしたが、神様がニネベに災いを引き起こすことを止められたことに対してヨナは非常に不愉快になりました。異国の民でしかも暴虐であった民たちが神様の災いを受けずに済んだことにへブル人である彼は憤慨したのです。自分は生きているより死んだほうがましであるとも、神様に告白したのでした。それで彼は町を出て自分で作った仮小屋に住み始めたのですが、神様はヨナを見るに見かねて一本のとうごまを準備なさり、それをヨナの住んでいるところに与えて成長させて、ヨナの機嫌を直そうとされました。ヨナはこのとうごまを見て大変喜びました。そして、翌日の夜明けに神様は一匹の虫を用意なさり、その虫がとうごまをかみ、とうごまは枯れ始めました。また昼には太陽の日差しが暑く照りだし、焼け付くような東風が吹き出しましたので、彼はまた、自分は生きているより死んだほうがましだと願ったのです。その時、神様はヨナに質問しました。『このトウゴマのために、あなたは当然のように怒るのか?』ヨナは答えました。『私が死ぬほど怒るのは当然のことです!』 それで神様はヨナに忠告しました。『あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。』(ヨナ4:10~11) ヨナは自分で苦労して育てたのでもない一本のとうごまが、一日の間に成長しまたすぐに枯れてしまったことをとても残念に思い惜しみました。しかし神様にとっては、一本のとうごまのことは重要なことではありません。神様にとっては、大きな町ニネベに住んでいて、まだたましいが救われていなくて、本当の神様がわからずに、滅びに向かってさまよっている多くの人々、そして数多くの家畜たちが滅んでしまうことに惜しまないではいられないのです。神様の一番の関心事は滅んでゆくたましいを救っていくことです。ヨナは一本のとうごまが滅んだことに大変残念がり怒りました。神様にとっては、ひとりの人でも、そのたましいが滅び永遠の地獄に行ってしまうことを非常に惜しまれ悲しまれるお方であります。ですから、まことなる神様を知らず救われずにさまよっているニネベの多くの人たちが永遠に滅ぶことに我慢ができませんでした。ですから、ヨナを選んでニネベの多くの人たちを救う使命を彼に与えたのでした。神様の一番の関心事は、この世の全ての人々のたましいが救われて、永遠の滅びの道から解放され、永遠の天国へ行くようになることであります。神様は天地万物を造られ、人間も造られたお方でありますので、ひとりでも人が永遠に滅んでしまうことに惜しまずにおられないお方であります。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)ですから、私たちはまずイエス様によって救われたものとして、周りの人々に福音を伝えて、できるだけ多くの人々をイエス様のふところに導き、永遠にいのちに導く使命感をもって生きなければなりません。わたしたちも神様からの使命をいただきましたら、それに逆らって背いたりしないで、ヨナのように大きな試練に遭う前に、神様に従順して、使命を全うし、神様を悲しませないように一人でも多くのたましいを救うように伝道して神様の願いを叶え、天国に行く時まで神様に栄光をお返しになる信仰生活を毎日送り、たましいが恵まれているように全てに恵まれ健康である祝福を豊かに受けられる皆さんとなられますように、主の御名によって切にお祈りいたします。アーメン。