マタイ6:25~34
わたしが韓国に住んでいた時の話です、電車に乗るために駅のホームに行くと、私は結構長い時間電車に乗っていかなければならない時は、席がよく空いている一番前の列車に乗るために、ホームの前の方まで歩いて行って電車をよく待っていたものでした。ある時、いつものように電車に乗る時にホームの前の方まで歩いていくと、ホームのもっと先の人の見ることが難しいところにたいへん綺麗な花が咲いていました。普通、駅で電車を待つ人でも、ホームの端っこに行って更に注意をして見ない限り、その綺麗な花を見ることはむずかしいのでした。そして、もっと先の方をよく見てみると、もっとたくさんのカラフルな可愛い花たちが人目のつかないところで堂々と咲き誇っているのを発見したのでした。私は人の気づかないところでこんなにも綺麗で可愛い花が咲いていることに大変感動したものでした。自然界では、神様によって創造されたとても綺麗な野の花が育っています。これらの花たちは誰に見せるつもりでもなく、ただ大胆に堂々と綺麗にその花々を咲かせているのです。私たちは人間から見て、またクリスチャンの立場から見ると、これらの野の花は私たちの信仰において悟ることがいくつか発見できると思います。今日は、私は皆さんと共に、『野の花のような信仰』というタイトルで、皆さんと恵みの御言葉を分かち合っていきたいと思います。
1. 人目を気にせずに咲き誇る野の花
神様の被造物である野に咲く花たちは、人目を気にせず、隠れたところでも、その美しい姿を表しています。誰もいないようなところでも、素晴らしく綺麗に堂々と咲き誇っています。これは、クリスチャンの信仰において考えるとき、非常に大切なことになります。マタイ六章の前半部分では、このテーマについて記されています。
マタイ6:1~4
1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
まず初めに、善行をする時には、偽善者たちのように人前でしないように、また、人に施しを行うときには、右の手のしていることを左の手に知れないようにしなさい、イエス様は忠告しています。なぜなら、人前で善行をしたり、人の見ているところで施しを行った人達は、すでに自分の報いを受け取っているからなのです。 しかし、人のわからないところで善行を行い、人の知らないところで人に施しを行う時、隠れた所で私たちを見ておられる私たちの父なる神様が、私たちに豊かに報いてくださるのです。
マタイ6:5~8
5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
次に、祈る時も偽善者たちのように、人に見られるところでするのではなくて、自分の奥まった部屋に入って、戸を閉めて、隠れたところにおられる父になる神様の祈るようにイエス様がアドバイスをしております。なぜなら、人の前で祈っている人たちは、すでに自分の報いを受け取っているからであり、隠れた所で神様に祈っている人には、隠れた所で見ておられる神様が、私たちに報いて下さり、祈りに答えてくださるからなのであります。二人や三人以上で共に祈ることも非常に大切です。なぜなら神様は、二人でも心を合わせて祈るその祈りを聞いてくださると聖書にも書かれてあるからです。
そして、イエス様はここで主の祈りを紹介しております。
マタイ6:9~13
9だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン〕
次に断食するときにも、イエス様は偽善者たちのように、人に自分のやつれた顔をして、断食していることが人に見えるようにして自分の報いを受けることはやめるようにほのめかしています。そして、断食するときは、自分の頭に油を塗ったり、顔を洗ったりして、断食していることが人に見られないようにして、隠れたところにおられる父なる神様だけにわかるように、断食をしなさい、と言っています。
マタイ6:16~18
16 断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
17 しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
18 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。
断食の祈りは非常に効果があります。なぜなら、断食中は神様と自分が直通で伝わるからです。自分の欲を捨てて、すべての考えと行動を神様に捧げるように努力するので、神様が断食する人を哀れんで下さり、とても愛してくださり、その人の祈りの願いを神の御心ならば叶えてくださるのです。イエス様は40日間も断食の祈りをしてから、サタンの誘惑に御言葉を通して打ち勝ち、公生涯をスタートさせました。断食の祈りを通して、私たちは神様からの奇跡を大きく体験することができます。ですから、断食するときも、私たちは人に見られるようにしてすでに報いを受けてしまうことをしないで、隠れているところで見ておられる神様に対して、誠実に断食を行わなければなりません。そうすれば、神様はみなさんを必ず、すべての問題を解決し、恵み豊かに祝福し、神様の栄光を大きく現してくださるのです。
2. 美しさを熱心に咲かせる野の花
次に、野の花は熱心にその美しさを咲き誇っています。誰かが見ていようが見ていないが関係なくして、その美しい姿を熱心に野山で咲き誇っているのであります。私たちクリスチャンも、この野の花のように、熱心に咲き誇る努力をしなければいけないのです。クリスチャンとして私たちは聖霊充満を受けて、アガペーの愛をこの世のすべての人たちへ伝えていかなければなりません。そして、救い主イエス様をこの世のさまよっている人たちに伝えて行かなければならないのです。山に咲き誇る野の花のように、熱心に礼拝を捧げ、熱心に賛美をし、熱心に聖書読んで、熱心に御言葉を実行し、熱く愛し合い、熱く隣びとを愛して、熱心に奉仕を行い、教会を成長させて、熱心に伝道をして、多くの人々を主の下に導き、神様に大きく栄光をお返しする熱い熱い努力が私たちには必要なのであります。熱心に咲き誇っている野の花のように、私たちは熱く生きていかなければなりません。ヨハネの黙示録にもこうあります。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」(默3:15~16)私たちは熱心に教会生活信仰生活を送っていかなければなりません。
使徒パウロは、情熱的な性格でありました。その情熱さが、初めはキリスト者を大変ひどく迫害する者になってしまったのです。ただ情熱さがあるだけでは、本当はいけないのです。大切なのは、その情熱さを持って何をするか?何のためにするか?が一番大切です。パウロは、ダマスコに向かう途中にイエス様に出会ってから、その情熱さが、今度は180度変換して、ついにイエス・キリストを宣べ伝える伝道者へと変わったのでした。そして、その情熱的な性格がさらに異邦人伝道にも生かされ、大胆な伝道者として、神様からものすごく大きく用いられたのでした。聖書もたくさん執筆し、牢獄へ入れられても、決して落胆しないで、絶えず神様を熱く賛美し、ほめたたえ、牢獄からも外へ出る奇跡を体験しながら、多くの人々に福音を伝えていったのでした。私たちは、熱く信仰生活を送っていくことが大切です。
ヨイド純福音教会の金曜日の徹夜礼拝では、参加する聖徒さんたちが一斉に熱く祈ります。共役者の方々も熱く聖徒さんたちに按手しながら祈ります。非常に多くの人たちが一斉に熱く祈るので、この教会ではいつも大きな奇跡が起きています。私たちの教会も-熱く祈る教会-が四大目標でもあります。すべての聖徒さんが心を一つにして熱心に大胆に祈り、神様から答えをいただき、奇跡を体験して、大きく証もできて神様に栄光をお返しすることができます様に、主の御名によって祝福します。
3. ただ神の使命を実行している野の花
三番目に、野の花はこの美しい花を開かせて咲くという使命を熱心に実行していることが分かります。私たちクリスチャンも、神様から頂いた使命を熱心に全うしなければなりません。先程は、熱心に生きることが大切であることを話しましたが、どんなことに熱心に生きるのか、何のために熱心に生きるのかが大切であると言いました。私たちは、神様の栄光もために、神様の国のために、熱心に生きて神様の使命を全うしなければいけないのです。
マタイ6:25~34
25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
私たちは、神様の国のために熱心に生きることが一番大切なことであるのです。自分のために熱心になって、生きることを心配したり煩ったりする必要はありません。天の神様は私たちの必要なことを全てご存知だからです。ただ、私たちのするべきまず初めのことは、神様の国とその義とを熱心に追い求めることなのであります。 神様の国とその義とをまず第一に求めるならば、私たちのことを隠れたところで見ておられる神様が、私たちの必要なすべてのものを備え、与えてくださいます。ですから、あすのための心配や労苦は必要ないのです。明日のことはその時に神様が必ず必要を満たしてくださるからなのです。野の花のように、何も心配しないで、私たちはどこにいようと、誰が見ていようが見ていまいが、ただ神様の国とその義とを熱心に求めていくことが、神様の使命を果たし、神様に栄光が大きく帰るのであります。
それでは、神の国はどこに造られるのでしょうか?イスラエルにでしょうか?教会にでしょうか?相模原市にでしょうか?神様の国は、実は私たちの中に造られるのであります。私たち一人ひとりの中に神の国が築き上げられる時、本当の神様の国が建てられるのであります。ルカ17:21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。ですから私たちは、いつも悔い改め、イエス様の十字架の血潮を通してすべての罪を洗い流し、聖霊充満でいなければならないのです。私たちの心がいつも聖霊で満たされるとき、心の中に、イエス・キリストのアガペーの愛や喜びや平安、そして忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制の聖霊の九つの実が現れ、心の中に神様の国が現れるようになるのです。そして、思いを尽くし、心を尽くし、力を尽くして神様を愛し、隣びとを愛することができるようになり、互いに愛し合うこの目でも見える神様の国がこの世に証として現れるようになるのです。ですから、私たちはまず、自分の心の中に神様の国を造ることに熱心にならなければならないのです。常に自分の心の中を点検して、神様の御心にあわない考えや、罪の考えを悔い改めて、イエス様の血潮で洗い流し、ただ、御言葉と聖霊だけが心に満ち溢れるように絶えず聖書を読んで、説教を聞いて、聖霊充満の祈りをして、いつもどんな時でも、人が見ていない時でも、見ている時でも心の中に神様の国を建て上げることに熱くならなければなりません。
野の花のように、人がいないところでも、精一杯に花を咲かす努力をし、熱い心を持って、神様の国を第一に求められ、神様から必要なすべてが満たされ、たましいが恵まれているように,全てに恵まれ、健康である祝福を溢れるほど豊かに受けることのできるみなさんでありますように、主の御名によって祝福してお祈りします。アーメン!