1. 罪人のために来られたイエス様
ルカ15:1~2 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」
この節では、イエス様が、パリサイ人や律法学者たちから、罪人たちを受け入れて食事をすることを非難されたことが書かれているのですが、イエス様が「誰のためにこの世に来られたのか?」聖書にちゃんと記されています。イエス様は、医者は病人のために必要な人であるように、ご自分が罪人のために来られたとおっしゃったのです。ルカ5:30~32 30 すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」31 そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。32 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」イエス様がこの世に送られた理由は、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのであります。ですから、イエス様が宣教を始めて開始された時に、おっしゃった言葉は、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)であります。イエス様は、罪人を悔い改めさせて、永遠の神の御国である天国へ、彼らを住まわせるために、この世に来られたのであります。イエス様がこの世に遣わされて来られた目的ははっきりとしているのです。ところで、罪人とは誰のことを言うのでしょうか?聖書で言う罪人は、この世の人類全ての人々を言います。聖書には、この世のすべての人々は罪人であると書かれてあります。なぜなら、私たちはアダムとエバの罪人の子孫であるからです。アダムとエバの罪の血統が子孫に受け継がれ、私たち人類は全て罪を犯す性質を受け継いでいるのです。私は罪を犯したことがない、という人でも誰でも心の中で怒ったり、人を憎んだり、つぶやいたりすることがあります。聖書では、心の中で犯した罪も神様の前では罪であると言っています。マタイ5:21~22 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。(口語訳) マタイ5:27~28 『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。(口語訳) 1ヨハネ1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。このように、わたしたち人類は神様の前では全て罪人なのです。私たちは神様でありませんので、多かれ少なかれ、何かの罪を犯してしまう存在なのです。では、罪人である私たちがそのまま、罪を犯し続けていたらどうなるのでしょうか? 罪を悔い改めない限り、私たちは最後には神様に裁かれて、永遠の死に至ります。ローマ6:23 罪から来る報酬は死です。ヤコブ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。私たちはアダムとエバの堕落を通して、たましいが呪われ、環境が呪われ、肉体の健康も呪われる、三重の呪いを受ける罪人としての運命を背負って生きる存在となってしまいました。これらの呪いから人間は自分の力では開放することができません。ただ、こられの呪いを人類から解放できる方は、万物と人類を造られた神様にしかすることができません。それで神様は、ご自分のひとり子イエス様をこの世に送られ、ひとり子を十字架にかけて、罪の無い血を流すことによって、私たち人類のすべての罪を洗い清めるようにしてくださったのです。そして、イエス様は十字架の上で死なれ、三日目によみがえられ復活し、弟子たちに40日の間現れた後に、天の御国へ挙げられました。悔い改めて復活のイエス様を信じる者は、誰でもその罪が赦され、永遠の命が与えられるのです。たましいの呪いから、解放されて、永遠の命を得るようになり、豊かに環境が祝福されるようになり、健やかで健康な人生を、天国に行く時まで歩めるようになるのです。愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。(3ヨハネ2 新共同)この御言葉のように、イエス様を通して三重の呪いが、三重の祝福へと変わり、私たちは、これらの祝福を永遠の天国に行く時まで享受できるようになるのです。ハレルヤ!私たち罪人のためにイエス様は来られ、イエス様を通して私たちは最高の幸せな人生を天国に行く時まで歩めるようになったのであります。ハレルヤ! イエス様は、私たち罪人が悔い改めによって、その罪を赦し、私たちがこの世でも祝福された人生を歩み、永遠の天国で生きることができるように、この世に送られたのであります。イエス様は、私たちすべての人類が悔い改めるために、父なる神様から遣わされたのであります。
2. 百匹の中、失った羊一匹を発見した飼い主の喜び
私が東京のあきる野市にある祈祷院で勤務していた時、二匹の犬を飼っていました。一匹は私がそこに派遣される前から飼われていた小さな可愛い柴犬で、もう一匹は、私がそこに派遣された時に私が寂しくないように妻が飼ってくれたリトリバー犬でした。ある日、この犬たちのつながれていた首輪をほどいてやったところ、二匹の犬が祈祷院の裏の畑から一気に走り出して、競争をし始めました。そして、二匹はものすごいスピードで、遥か彼方の方へ走り去って行きました。小さな柴犬は、よく放し飼いにしていることがありました。なぜなら、この柴犬は賢く、自分で散歩をして、うろうろといろんな所を歩き回って来て、必ず何時間か後に戻って来るからです。しかし、二匹が一緒になって走って行ったのは初めてでした。私はしばらくしたら、二匹とも帰って来るだろうと思っていました。しかし、とうとうその日は、二匹とも戻ってきませんでした。私は、今日は二匹で競争をしてから、遠くへ散歩に出かけ、いろんなところを見物しながら、明日になったらきっと二匹そろって帰って来てくれるだろうと思っていました。そして次の日、夕方頃になっても全く姿を現しに来てくれませんでした。私は心配になり、車に乗って、山道を走って行き、犬たちのいそうなところへ行って、川のほとりや、山中を捜し回りましたが、全く二匹の気配がありませんでした。『もしかしたら、誰かに拾われ連れ去られてしまったのかな~?』とか、大変心配でした。それで、妻の考えで、近くのガソリンスタンドへ行って、そこの店員さんに、もし柴犬とリトリバーが歩いているのを発見したら、連絡してください、といって、電話番号を教えて協力をお願いしました。そして、日が暮れて、次の日の雨の降りしきる午前10時頃、ついにガソリンスタンドの店員さんから電話がありました。『もしもし、今、柴犬とリトリバーが一緒に雨の中の車道を山に向かって歩いています!』とガソリンスタンドの店員さんが少し興奮した口調で話しました。私は、あわてて『わかりました!どうもありがとうございます!』と言って、すぐに車に乗って、雨のザーザーと降りしきる中ガソリンスタンド方へ向かって来ました。すると、雨に打たれながらうろうろと歩いているハッピーとロッキーの二匹を発見したのです。私は近くに車を止めて、雨でびしょびしょになって弱り果てている彼らを捕まえて車に乗せてあげました。そして、ガソリンスタンドに行って、店員さんに二匹の犬を見せながら、お礼を言いました。私の喜んでいる姿に店員さんも本当に喜んで、『よかったですね』と言ってくださいました。私は、見失った二匹の犬たちが雨に打たれて泥まみれになって、かなりやつれた姿に見えましたので、本当にかわいそうになりました。何も食べれなかったようで、本当に乞食のような姿でした。でも、脱走して帰って来なかったことについて、『おい!あんたたち!もう、競争して、どこまでも行ってしまってはいけないよ!』と叱りましたが、本当に帰って来てよかったと心から喜びました。そして、この喜びを笑いながら妻に電話で連絡して、喜びを分かち合ったのでした。私たちは、自分の所有しているものを無くして、見失ってしまった時、本当にショックになります。そして、それらを必死に捜し回り、それをとうとう捜し出した時には、非常に嬉しい気持ちが湧き上がってきます。そして、その喜びを人々と共に分かち合いたいと思うのです。
失われた羊を見つけた飼い主が大いに喜んで、近所の人達とその喜びを分かち合うように、ひとりの罪人が悔い改める時、その造り主でおられる神様のおられる天では、悔い改める必要のない九十九人の正しい人たちにまさる喜びが湧き上がるのです。ルカ15:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」
ハドソン・テーラーという中国宣教のパイオニアの方は、ある時、世界で一番人口の多い中国の宣教に召命を受けました。彼は、彼の母国イギリスの教会が、一匹の羊とともに故郷にとどまって、中国でさまよっている九十九匹の羊には全く注意を払わない状態である、と非常に嘆きました。それで、彼は中国宣教への旅立ちを決心して、三本マストの小型船に乗り込み、中国宣教を開始したのです。現地の中国で彼は、現地の人々に医療を施し、中国語の勉強も続け、中国人のようになりきる努力をしながら、親しく現地の人たちと接し、福音を伝えていきました。そして、多くの人々を救い、中国宣教のパイオニアとして、ものすごい貢献をすることができたのです。彼にとっては、中国人が百匹の中の失われた九十九匹の羊たちに思えたのです。失われた中国人の多くのたましいを救うために、彼は宣教を決心し、熱心に中国で福音を伝えていき、中国宣教の基礎を打ち建てたのでした。
私たちの国、日本も人口約1億2千万人のうち、クリスチャンが約百万人に満たないぐらいとわれていますので、日本の国も羊120匹のうち119匹が見失われている状態であるといえると思います。私たちも日本でこんなにも多くの失われた羊たちがさまよっていることを悲しまなければなりません。失われた一億人以上の魂を救うために祈り、伝道していかなければなりません。愛する聖徒のみなさん!日本の失われた多くの羊たち、多くのイエス様を知らずにこの世をさまよっておられる人たちのために祈り、伝道に励みましょう!イエス様をこの世でさまよっておられる多くの人たちに伝えて、本当の神様を知らせ、悔い改めに導いて、造り主、神様のもとに導いて、神様を大きく喜ばせ、天で大きな喜びがわきあがらせることができるように協力し合い、祈り合い、神様の国のために生きるみなさんとなりますように、主の御名によって切にお祈りします。アーメン!