御言葉: 使徒20:24
「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」
ハレルヤ!主の御名を賛美します。
今日、私は皆さんと共に、パウロの宣教の特徴を見ながら、恵みの御言葉を分かち合っていきたいと思います。
パウロの宣教の特徴
1. はっきりした使命感を持つ
まず、第一番目に、パウロの宣教の特徴は、彼がはっきりとした確かな福音を伝える使命感をもっていた、ということです。
パウロは、元の名はサウロでしたが、このサウロは、初めはキリスト教徒を迫害する者でありました。彼は、イエスを信じる人々なら誰でも迫害し、キリスト教徒を苦しめ、彼らを死にまでもいたらせるような迫害を熱心にしてきたのです。
そして、サウロはダマスコにいるキリスト教徒たちをも迫害するために、そこへ向かって行く途中に、
突然まばゆい光に照らされて、全く何も見えなくなってしまいました。
彼は地面に倒れ、その時、天からの御声を聞いたのです。
-「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか?トゲのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」
パウロは、それで質問をしました。 -「主よ。あなたはどなたですか?」
すると、答えが聞こえました。 ―「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
サウロは、イエス様が直接自分に話しかけられたことを体験したのです。
「起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現われたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らの罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」(使徒26:16~18)
イエスの御声を直接聞いたサウロは、神様の栄光の光によって、その時完全に目が見えなくなり、そして三日間飲み食いもできませんでした。
それで、一緒にいた人たちに連れられて、ダマスコへ行きました。そして、アナニヤというイエス・キリストの弟子と出会い、主の御声を聞いたアナニヤが、サウロに按手をするとサウロの目からはウロコなようなものが落ちて、ついに彼の目が開かれ、バプテスマを受け、食事をして元気を出したのです。彼は、はっきりとイエス・キリストを自分の救い主であることを確信し、イエス・キリストから直接使命をいただいた彼の信仰は180度変化して、多くの人々にキリストの福音を伝える者へと生まれ替えられたのです。
そして、名前もサウロからパウロに変えて、キリストの迫害者から、逆にキリストを証する伝道者へと自分の人生を主に献身し始めたのでした。
彼は本当に強い使命感をもって、イエス・キリストの福音を伝え始めたのであります。
キリストに直接出会い、神様の栄光があまりにも眩しく、主の御声だけしか聞こえませんでしたが、彼は主の御声をはっきりと聞き、自分のしている迫害は、イエス・キリストをも迫害していることだと悟り、彼は、ついに悔い改めて、主の大きなしもべにと変わっていったのでした。
私たちは、イエス・キリストの福音を伝える確かな使命感を心に抱く必要があります。はっきりとして確かな使命感があるならば、パウロのように、宣教の途中にどんな試練が訪れてきたとしても、忍耐し耐えることができるのです。
はっきりとした確かな使命感がないと、少しの試練によってもすぐに倒れてしまい、福音を伝える使命を投げ出してしまうでしょう。
私たちは、いつも主の前に膝まずいて、主を求め、主の栄光のために生きることを誓い、神の国とその義を求め、ひたすら主と共に前進していかなければなりません。
そのために、いつも聖霊充満で、絶えず主と共に歩み、御言葉を実践して神の国を広げていかなければなりません。
はっきりとした、確かな使命感を持つために、私たちは主の前に熱心に祈り、主を求める必要があります。
「主よ!私はどのようにして、主に栄光をお返しすることができるでしょうか?
主よ!私のすべきことはなんでしょうか?
主よ!私に多くの人々に福音を伝える方法を教えてください!」
と、主からはっきりとした確かな使命感を受けることが必要なのです。
主に、熱心に祈り求めて、ご自分の福音を伝える使命感をはっきりと示され、それを受けて、
実践していき神様の国を広げてゆかれる皆さんでありますように主の御名で祝福します。
2. 全ての人を勝ち取るために全ての人になる
パウロの宣教の大きな特徴の二番目は、彼はすべての人々をキリストのもとに導くために、全ての人になったということです。
1コリ9:19~22
19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
パウロの宣教の大きな特徴は、彼は人を差別なしに、すべての人種すべての民族、すべての人々をキリストに導くために、それらすべての人々となって、彼らに近づいていったことです。
19節に、パウロは、「私は誰に対しても自由です」といっています。
誰に対しても自由であることは、とても大きなことであります。誰に対しても分け隔てなく、自由に接することのできる能力や器量のあるひとは、パウロのようにすべての人になる資質がありますので、彼らにより親しく近づいて、彼らをキリストのもとに導くことのできる可能性があるのです。
彼は、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になったと言っています。
「ユダヤ人にはユダヤ人のようになり、律法の下にある者には、律法の下にはいないけれども、律法の下にある者のようになりました。」と言っています。
ここで大事なことは、パウロはすべての人を獲得するためにすべての人のようになって、
彼らのキリストのもとに導いていきましたが、彼は、完全に彼らのようになって、彼らの思想や風習を受け入れたのではありません。パウロはイエス様を信じる者として、決してイエスの教えに逆らうことは、妥協しませんでした。彼はその代わり、それらの人のようになる努力をして、彼らを勝ち取っていったのです。
同じように、律法を持たない人のためには、彼はキリストの律法を守っていますが、律法を持たない人のようになる努力をし、彼らに近づき、彼らをキリストのもとに勝ち取って行ったのです。弱い人を勝ち取るために、弱い人のようになりました。パウロは何とかして、多くの人々をキリストのもとに導き勝ち取りたかったのであります。
なぜ彼は、それほどまでに自分を無にして、すべての人のようになり、すべてのことを福音のためにしていったのでしょうか?
それは、23節にありますように、自分自身も福音の恵みを受け取るためである、と言っています。わたしたちは、パウロのように福音のためにすることによって、自分自身も福音の恵みを受けて祝福されるのです!福音を伝えることは、つまらない仕事では決してありません。福音を伝えることは、伝える人自身も豊かな恵みを受けることになるのです。
パウロはすべての人々に福音を伝えながら、彼自身も大きな恵みを受け取ったのです。
私たちは今、聖書の御ことばを通して、多くの恵みを受けていますが、パウロも新約聖書の27簡のうちの13簡も執筆したのです。ですから、パウロは天国で今もものすごい恵みを受けて幸せに暮らしているに違いありません!ハレルヤ!
パウロのように、神様から福音の恵みをたくさん受けるために、すべての人のようになって、多くの人々に近づいて、多くの人々をキリストのもとに勝ち取ることのできる私たちとなりますように、主の御名によってお祈りします。
3. 聖霊に導かれて進む
パウロの宣教の特徴の三番目は、聖霊に導かれて宣教を進めていったことです。
第一回目の宣教旅行が始まる時の記事が使徒13章に記されていますが、パルロとバルナバが聖霊に遣わされて宣教に旅立っていったことが書かれてあります。
「ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから舟でキプロスに渡った。」(使徒13:4)
彼らは聖霊に遣わされ、聖霊に導かれ、従い、聖霊充満となって、宣教旅行を開始したのでした。
使徒16章には、パウロと宣教を共にする一行たちは、小アジアの方へ行き、福音を伝えようと思っていましたが、聖霊がそれを禁じられました。それで、フルギヤ・ガラテヤ地方を通ってビテニヤの方に行こうとしましたが、また今度もイエスの霊である聖霊がそれを赦さなかったのでした。それで、彼らはトロアスの方へ下って行ったのですが、そうするある夜彼は、ある幻を見たのです。それは、ひとりのマケドニア人が、パウロの前に立って 「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください!」 と切に願っているのでした。
それで、パウロたちは、 マケドニヤの人々に福音を伝えることが、神の御心であると悟って 、マケドニヤまでいく決心をし、そこで福音を伝えていったのです。
私たちもどんな時でも聖霊に従わなければなりません。 聖霊に従わないで、逆らうと何かの試みに会うことになります。ですから、神の御心を悟ったならば、すぐにそれを実行するのが一番良いのです。御心を悟らせてもらったのにもかかわらず、逆らって進むなら、神様はその人を必ず、何かの試練に会わせ、更に神様を悟らせようとその人を試すのであります。
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」 ローマ8:14
私たちはいつでも神の御霊、聖霊に導かれ聖霊に従って信仰生活を送らなければならないのです。 聖霊に導かれる人は、誰でも神の子供であります!
いつでも、キリストの御霊、神の御霊である聖霊に従って、信仰生活を送り、パウロのように聖霊に導かれながら伝道、宣教を進め、多くの人に福音を宣べ伝えることのできるみなさんになりますように、主の御名によって祝福します。
4. 情熱を持って宣教に命を賭ける
パウロの宣教の特徴の最後である四番目は、彼は宣教に情熱を持ち続けていったということです。
パウロの性格は、本来、情熱的でありました。
使徒22:3~4
3 「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳粛な教育を受け、今日の皆さんと同じように、 神に対して熱心な者でした。
4 私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。
4 私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。
彼は、神に対して非常に熱心なものでありました。
イエス・キリストに直接出会って、改心するまでは、彼はその情熱のゆえに、キリスト教徒を熱心に迫害する者であったのでした。
しかし、イエス・キリストに出会い、福音を伝える使命をいただき、改心してからは、その情熱さが、異邦人伝道に爆発的に用いられるようになったのでした。彼は、宣教旅行を三度行い、イスラエルを含む地中海沿岸の地域や島々の人たちを伝道し、ついにローマにまで行くことができて、彼は物質的にも人の助けを得ないで、熱心に人々にキリストの福音を宣べ伝えていったのです。
パウロはいつも聖霊に満ち溢れていて、彼と彼らの一行が宣教をするところで、人々は聖霊で満たされるようになり、イエス・キリストを受け入れ、新しく生まれ変わっていったのでした。
彼は、監獄に入れられるような、大変つらい体験をもしましたが、どんなときにもパウロは聖霊に満ちていましたので、落胆せずに、神に熱心に祈り続け、賛美を歌い続け、いつも聖霊充満でした。それで、奇跡が起こり、大地震がその地域に起こって、獄屋の扉が開き、そこから解放され、また、そこにいた看守とその家族をキリストの永遠の救いに導くことができたのでした。
また、パウロの受けた試練は本当に、ものすごいものでした。彼の受けた試練がコリント人第二の手紙に記されています。
2コリ11:23~27
私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。
24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、
25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、
25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
パウロは、このような死に直面するような試練に何度も遭ったのですが、彼の使命感と、情熱さが、彼に不屈の精神を産み出し、どんな試練にも耐え抜いて打ち勝ち、福音を伝え続けることに命をかけることができたのでしょう。
彼は、言っています。 「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」使徒20:24
パウロの福音を伝える情熱と使命感が、どんな時でも命を賭けて最後まで福音を宣べ伝えるように導き、そのように彼の夢が叶えられていったのです。
以上のように、パウロの宣教方法は、①イエス・キリストの福音を伝える強い使命感を持ち、②全ての人を勝ち取るために全ての人のようになるように努力し、人々に近づいていき、福音を宣べ伝え、③聖霊に導かれて進んでいき、④熱い情熱を持って、福音を証する使命を果たし終えるまで、最後まで、宣教を行っていったということです。
私たちも、パウロの宣教をよく見習い、イエス様の福音を伝える使命感を豊かに抱いて、全ての人々を愛する心をもって、多くの人々に福音を証していきましょう。また絶えず聖霊に導かれ、聖霊充満で、熱い情熱をもって、キリストの恵みの福音を多くの人々に宣べ伝えられ、ご自分も主から恵みを豊かに受けられるみなさんでありますように、主の御名によってお祈りします。アーメン!