神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。
ある人が高い山の中で道に迷ってしまいました。その人は危険を感じながら正しい道を探し迷ったあげく、やっとのことであばら屋を見つけ出しました。そのあばら屋には老人がひとりで住んでいました。老人は彼を温かく迎え入れて、彼に次のように言いました。
『若者よ。山で道に迷ったなら、無条件に下山して村を探そうとするけれども、山で道に迷ったなら、上へ登って行けば自分の位置と道がひと目でわかるものじゃよ。もちろん、見えなかった村も見つけることができるじゃろう。』
人生の道も同様です。苦難を受けたと言って慌てふためかないで、山上を目指して登って行かなければなりません。人生の山上とは、イエス・キリストの十字架がある恵みの丘(頂上)なのです。
- 純福音家族新聞(ソウル)
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