わきまえのないことを捨てて、生きなさい。悟りのある道を、まっすぐ歩みなさい。
ひとりの老婆が、糸とボタンと靴ひもを売ろうと田舎の村へ降りていきました。ところで、その老婆は道の標示のない分かれ道に立つようになると、空中に棒切れを放り投げ、その棒切れが指す道へ進んで行きました。そのようにしていたある日、普段と同じように老婆は分かれ道に立ち、どちらの道へ行くべきか知るために棒切れを空中に放り投げていました。しかし、老婆は何度も繰り返し続けて棒切れを放り投げているのでした。通り過ぎる人がこの光景を見て、その老婆に尋ねました。
「なぜ、あなたはそうやって棒切れを何度も放り投げているのですか?」
すると、老婆は次のように言ったのでした。
「この棒切れは今まで続けて右の方だけを指してるんじゃ。でも、わしは左の方へ行きたいのじゃよ。」
その老婆は行きたい方の道を棒切れが指し示すまで続けて放り投げていたのでした。
私たちもこれと同じ様です。神様の御言葉に従順すると言いながらも、自分が望んでいる方向へ導いてくださることを願い祈ります。私たちも言葉だけで従順するクリスチャンでなく、実際に従順するクリスチャンにならなければいけません。 - 純福音家族新聞(ソウル)