神である主が義と賛美とを全ての国の前に芽生えさせる ー イザヤ61:11

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。 第三ヨハネ 二節

エレミヤ17:2

2015年07月20日 00:25

彼らの子たちまで、その祭壇や、高い丘の茂った木のほとりにあるアシェラ像を覚えているほどだ。

犬一匹がふたりの人の後をついて行く場面を想像してみてください。そのふたりの人が一緒に歩いて行く間は、その犬の主人が誰であるのかはわかりません。しかし、分かれ道に着いたひとりの人がこちらの道へ、また別のひとりは違う道へ進んで行く時、ようやくあなたはその犬の主人が誰であるのかを知ることができます。

このように、ひとりの人が世に属して、肉的に生きながら信仰告白をする時、私たちはその人の主人が神様であるのか、世であるのかは分かりません。しかし、その人が分かれ道に着く時まで待てば分かるようになります。神様がこの道の向う側からお呼びになり、世があの道の向こう側から呼びかける時、その人の主人が神様ならば、その人は世を捨てて信仰に従うでしょう。しかし、その人の本当の主人が世であるなら、神様と良心と信仰を捨てて、情欲に従って行くようになるでしょう。

今、私たちの前に分かれ道があります。あなたは、どちら側の道を選択して行くでしょうか?      -純福音家族新聞(ソウル)