神である主が義と賛美とを全ての国の前に芽生えさせる ー イザヤ61:11

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。 第三ヨハネ 二節

ヨハネ10:14~15

2015年07月16日 00:23

わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。


スコットランド北部地方に、深い渓谷を高く横切る鉄橋がありました。その鉄橋の下には、きれいに澄んだ川が流れていました。上から下を見下ろすと、目まいがするほどその鉄橋は高い所にありました。ところで、ある早朝に羊飼いの少年が、前日の夕べにたくさん降った雨のために渓谷の水が溢れ出て、橋脚が押し流され鉄橋が破壊されてしまう場面に出くわしました。そんな時、遠くから汽車がやって来る音が聞こえてきました。この少年は線路の上に立って、脱いだ服を取り留めもなくめちゃくちゃに振り回しました。しかし機関士は羊飼いの少年が鉄道の真ん中に立って汽車を止めようとしているのに、そこどけと汽笛を高くならすだけでした。結局、機関士は速度を落として汽車を止めたのですが、すでに羊飼いの少年はその汽車にひかれて死んでしまったのです。

機関士が驚いて汽車から降り出た瞬間、更にあっと驚きました。鉄道の前方にはあるはずの鉄橋がなく、そちらから眼下を見下ろすと、何百メートルも下の方で激しく流れ出る川の水により鉄橋の橋脚が崩れていたのでした。このまま汽車が走っていたならば、汽車に乗っていた数百名すべてが亡くなっていたことでしょう。

イエス様が私たちに与えてくださった愛が、この羊飼いの少年の愛と同様です。私たちが地獄へ向って走っていく時、イエス様が私たちの前方の道をふさいでくださり変りに犠牲となってくださいました。        -純福音家族新聞(ソウル)