神である主が義と賛美とを全ての国の前に芽生えさせる ー イザヤ61:11

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。 第三ヨハネ 二節

箴言17:27~28

2015年06月23日 00:06

自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある者。愚か者でも、黙っていれば、知恵のある者と思われ、そのくちびるを閉じていれば、悟りのある者と思われる。

トルコのタウロス山の頂上付近の奥深い谷には、鷲たちが多く生息している場所として知られています。ところで、その鷲たちにはタンチョウヅルが一番かっこうのえじきであるそうです。タンチョウヅルはとても大きな声で鳴くことが好きな鳥たちで、特に飛んでいる時に大声を出します。このような鳴き声は、鷲たちにとっては非常によい信号となり、空の旅の中騒がしくわめき散らすいく羽の鳥たちは、鷲の餌となってしまうそうです。ですから、年老いて経験豊富なタンチョウヅルは、彼らの騒ぎたてる弱点をあらわにしないで、旅立つ前ならば危険を避けるために、いつも彼らのくちばしがいっぱいに溢れるくらいの石を拾ってくわえることによって必ず沈黙を維持し、危険から逃れるそうです。

韓国のことわざにも、「一言が千両の負債も帳消しにする。」、「足のない言葉が千里を行く。」など、言葉の大切さに対して警告しています。ことばは両刃の剣と同じく、時には心強い味方になることもありますが、時には自分を刺すこともあります。ですから、私たちは何よりも話すことに注意を払わなければなりません。

イエス様は、御言葉を通して、病にかかった人たちを癒し、悪霊に憑かれた人たちから悪霊を追い出されました。私たちクリスチャンは、言葉がもっているその力の恐さを理解して悟り、いつも祝福の言葉を言い表さなければいけません。「一度吐き出した言葉は、拾い上げることができない。」という(韓国の)格言のように、話しておいて後悔してみなければ、反省することができません。ですから、たったひと言を話すにしても、注意深くまた充分に考えた後に話さなければいけません。『19世紀の女性』という作品として有名なアメリカの女流評論家フラーは、こう言いました。「経験が多ければ多いほど、口数が減り、賢ければ賢いほど、感情を抑えられる。」 

  - 純福音家族新聞(ソウル)