神である主が義と賛美とを全ての国の前に芽生えさせる ー イザヤ61:11

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。 第三ヨハネ 二節

エペソ2:8~9

2015年07月18日 00:24

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

ある宗教の有名な求道者がいました。彼は一生涯とてもすごい修行をしました。結婚直後、初めての子供を妻に任せて修行に出て行き、両親が尋ねて来ても修行に障害になるということでいっさい面会しませんでした。自分が住んでいる所に鉄条網を張りめぐらし、十年間も人と交わらずひとりで寂しく暮らし、8年間も横たわることなく座った姿勢で眠り修養を積みました。彼は16年間もの間、松葉の粉と米の粉だけを食べて生きていました。しかし、彼が世を去る前に最後に残した詩が一首あるのですが、その詩の一節にはこのように書かれていました。

『彌天罪業 過須彌』(天に満つ罪業、須弥山より高きなり。)


生涯をそんなにも骨が砕けるほど、血が涸れるほど、肉がわめくほどに修行をしましたが、最後の死ぬ間際に彼が悟ったことは、「非常に多くの罪が天にいっぱい溢れ、なんと須弥山より高いことであろう」という嘆きでした。

人間の力でいくら苦行をして、身もだえしても、罪を清算することはできません。しかし、主が来られて私たちの罪の重荷を代りに背負ってくださったのです。



*須弥山(須彌山・しゅみせん) 古代インドの世界観の中で中心にそびえる想像上の山。高さ約百万km。地球の直径の約85倍。