神である主が義と賛美とを全ての国の前に芽生えさせる ー イザヤ61:11

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。 第三ヨハネ 二節

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箴言9:6

2015年08月10日 00:31
わきまえのないことを捨てて、生きなさい。悟りのある道を、まっすぐ歩みなさい。ひとりの老婆が、糸とボタンと靴ひもを売ろうと田舎の村へ降りていきました。ところで、その老婆は道の標示のない分かれ道に立つようになると、空中に棒切れを放り投げ、その棒切れが指す道へ進んで行きました。そのようにしていたある日、普段と同じように老婆は分かれ道に立ち、どちらの道へ行くべきか知るために棒切れを空中に放り投げていました。しかし、老婆は何度も繰り返し続けて棒切れを放り投げているのでした。通り過ぎる人がこの光景を見て、その老婆に尋ねました。「なぜ、あなたはそうやって棒切れを何度も放り投げているのですか?」すると、老婆は

箴言3:13~14

2015年08月09日 00:30
幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。嫌々ながらで否応なしにする勉強は頭の中にほとんど残らない、という事実はみなさんすでに学生時代から経験しておられることでしょう。みずから進んで学びたい気持ちで学習する時に、初めて頭の中に確実に入り込んでいくことでしょう。すなわち、核心は自発性があるのか、そうでないのかにあるのです。自発性のない学習はほとんど効果がありません。したがって、「自分が何を学びたいのか?」を平素にあれこれとじっくり考えておくようにしましょう。自分がこ

箴言26:21~22

2015年08月06日 00:29
おき火に炭を、火にたきぎをくべるように、争い好きな人は争いをかき立てる。陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。ある婦人が神父を訪ね、自分が他人のうわさをあちらこちらと立てながら歩き回っていたことを告白しました。すると神父は懺悔に対するしるしとして、「市場へ行って羽の抜いていない鶏一羽を買い、帰り道に鶏の羽を一つずつ抜いて捨てなさい。」と言いました。懺悔にしてはとても奇妙な行為だと思いましたが、その婦人は言われたとおりにしました。彼女が戻って来るとすぐ、一度神父は彼女の従順さに対してほめてあげました。そして次のように言いました。「それではあなたの懺悔のための最後の

箴言10:19~21

2015年08月01日 00:28
ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある。正しい者の舌はえり抜きの銀。悪者の心は価値がない。正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚か者は思慮がないために死ぬ。人によって、自分の長所が最大の弱点になりうることもあり、反対に弱点が最大の長所になりうることもあります。マルクス・キケロはローマ帝国時代の最高の雄弁家でした。彼は秀でた雄弁さのおかげで、ローマで初めて『祖国の父』の称号を受け、執政官の官職にまで上がるようになりました。名声が高くなり、彼はさらに雄弁術に力を傾けていきました。そして古代ギリシャで一番優れた雄弁家デモステネスと双璧を成すほど高い境地に

箴言16:27~29

2015年07月31日 00:27
よこしまな者は悪をたくらむ。その言うことは焼き尽くす火のようだ。ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。暴虐の者は自分の隣人を惑わし、良くない道へ導く。ある教会にひとりの勧士が登録しました。その方が教会へ登録した直後、以前に自分が通っていた教会の関係者が牧師にこのように言いました。「牧師さん。その人は怒りだすと牧師さんを凶器で脅かす人です。絶えず用心していなければだめですよ。」この言葉を聞いた牧師はぎょっとしました。その後、その勧士が時たま贈り物を持って来ようが、教会のためどんなことをしようが、絶えず心の中では「気をつけないとだめだ。そのようにいいことをしていても、一

箴言20:13

2015年07月25日 00:26
眠りを愛してはいけない。さもないと貧しくなる。目を開け。そうすればパンに飽き足りる。ある日、ひとりの怠け者が人々について行き教会へ通うようになりました。ところで、奇妙なことには教会に来られる人たちが自分のように仕事を何もせずに礼拝を捧げたり、聖書を読むことがすべてだったのに、誰ひとりとして退屈そうであったり、いらだたしくするような人はいませんでした。すべての人たちが、楽しい表情をしていました。このことが不思議に思えて、怠け者は牧師を訪ねにやって来ました。「牧師様。私は毎日毎日飽き飽きしています。でも、ここの人たちは仕事などまったくしないのにもかかわらず、とても楽しい表情をしています。その理由は

エレミヤ17:2

2015年07月20日 00:25
彼らの子たちまで、その祭壇や、高い丘の茂った木のほとりにあるアシェラ像を覚えているほどだ。犬一匹がふたりの人の後をついて行く場面を想像してみてください。そのふたりの人が一緒に歩いて行く間は、その犬の主人が誰であるのかはわかりません。しかし、分かれ道に着いたひとりの人がこちらの道へ、また別のひとりは違う道へ進んで行く時、ようやくあなたはその犬の主人が誰であるのかを知ることができます。このように、ひとりの人が世に属して、肉的に生きながら信仰告白をする時、私たちはその人の主人が神様であるのか、世であるのかは分かりません。しかし、その人が分かれ道に着く時まで待てば分かるようになります。神様がこの道の向

エペソ2:8~9

2015年07月18日 00:24
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。ある宗教の有名な求道者がいました。彼は一生涯とてもすごい修行をしました。結婚直後、初めての子供を妻に任せて修行に出て行き、両親が尋ねて来ても修行に障害になるということでいっさい面会しませんでした。自分が住んでいる所に鉄条網を張りめぐらし、十年間も人と交わらずひとりで寂しく暮らし、8年間も横たわることなく座った姿勢で眠り修養を積みました。彼は16年間もの間、松葉の粉と米の粉だけを食べて生きていました。しかし、彼が世を去る前に最

ヨハネ10:14~15

2015年07月16日 00:23
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。スコットランド北部地方に、深い渓谷を高く横切る鉄橋がありました。その鉄橋の下には、きれいに澄んだ川が流れていました。上から下を見下ろすと、目まいがするほどその鉄橋は高い所にありました。ところで、ある早朝に羊飼いの少年が、前日の夕べにたくさん降った雨のために渓谷の水が溢れ出て、橋脚が押し流され鉄橋が破壊されてしまう場面に出くわしました。そんな時、遠くから汽車がやって来る音が聞こ

マタイ25:15

2015年07月14日 00:22
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。昔、あるひとりの金持ちが多くの奴隷を抱え、大きく農業を営んでいました。そのお金持ちは、自分が死ぬ前に良いことをしなければならない、と考えるようになりました。それで奴隷たちを呼び寄せて、「今月の大晦日(おおみそか)には自由にしてあげよう。」と言いました。そしていざ大晦日の日になり、主人は奴隷たちにわらを一束ごと与えながら言いました。「縄を細く上手に撚(よ)りなさい。そして、それを一晩中やってみなさい。最後に出て行く前に、私のためにしてもらう仕事はそれだ。」それで、奴隷
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